神はどこにでもいる
2010年 07月 28日
僕は宗教にも神学にも興味はありません。
信仰も持っていません。
でも神様との個人的な関係は持っています。
僕は実は誰もがそうなのだと思ってますよ。
ピンチの時だけ神に祈る人もいれば、全く神なんて信じないという人、信じたうえで憎んでいるという人すらいるかもしれませんが,それぞれが神との関係のあり方のひとつであると考えます。
僕は神とは『意図的』な『存在』ではないかと感じています。
私たちはみな今のところ常に存在し続けてますから『存在しない』『何もない』という状態は経験した事もありませんし、それがどんなものなのか想像もつきません。
人間が死を恐れる理由のひとつですね、死が『存在する』事の終わりではないかと思うからです。
死後の事はともかく『存在する』『ある』というのが私たちの絶対的要素である事は間違いありません。
そこで考えるわけです。
この状態、つまり『存在する』『ある』という事は偶然の産物なのか、あるいはそうではないのか、という事です。
僕は『存在』は意図的な現象、状態であり、偶然には生じないと感じています。
言い換えれば『生命』は混沌から降ってわいた動力ではなく『意図を持った力』だという事です。
そう考えれば存在するものは全て神性をもっていると言えます。
この感性で世界を見れば、入道雲の美しさに、スズメバチのデザインの完璧さに、木陰で休んでる時に吹く風にすら神を感じる事ができます。
神イコール宗教、信仰というわけではありません。
僕は何か特別な事柄や出来事だけでなく、日常の全てのものに神を見たいと思ってます。
信仰も持っていません。
でも神様との個人的な関係は持っています。
僕は実は誰もがそうなのだと思ってますよ。
ピンチの時だけ神に祈る人もいれば、全く神なんて信じないという人、信じたうえで憎んでいるという人すらいるかもしれませんが,それぞれが神との関係のあり方のひとつであると考えます。
僕は神とは『意図的』な『存在』ではないかと感じています。
私たちはみな今のところ常に存在し続けてますから『存在しない』『何もない』という状態は経験した事もありませんし、それがどんなものなのか想像もつきません。
人間が死を恐れる理由のひとつですね、死が『存在する』事の終わりではないかと思うからです。
死後の事はともかく『存在する』『ある』というのが私たちの絶対的要素である事は間違いありません。
そこで考えるわけです。
この状態、つまり『存在する』『ある』という事は偶然の産物なのか、あるいはそうではないのか、という事です。
僕は『存在』は意図的な現象、状態であり、偶然には生じないと感じています。
言い換えれば『生命』は混沌から降ってわいた動力ではなく『意図を持った力』だという事です。
そう考えれば存在するものは全て神性をもっていると言えます。
この感性で世界を見れば、入道雲の美しさに、スズメバチのデザインの完璧さに、木陰で休んでる時に吹く風にすら神を感じる事ができます。
神イコール宗教、信仰というわけではありません。
僕は何か特別な事柄や出来事だけでなく、日常の全てのものに神を見たいと思ってます。
by buri-zu
| 2010-07-28 19:50